赤池優インタビュー

様々な業界で活躍されている熊大附属中学校出身者を紹介していくコーナー! 第9回目は、ソプラノ歌手の赤池優さん(平成元年卒)です。伸びのある豊かな歌声を武器に『魔笛』や『ラ・ボエーム』、『こうもり』などで主役を務めるほか、エレガントな美貌でも注目を集めている赤池さんの中学時代の楽しい思い出や歌手としての心構え、今後の夢などをうかがいました。

赤池 優(あかいけ ゆう)

熊本市出身。熊大附属中・真和高校卒業。東京芸術大学声楽科卒業。
3歳よりピアノとヴァイオリンを始め、小4に入部したコーラス部にて歌の楽しさに夢中になる。声楽ソロのレッスンは高校生になってから。ピアノと声楽のレッスンは週に1度、ヴァイオリンは週に2度という忙しい日々を過ごしながらも、音に包まれている毎日が楽しくてしかたなかった。そのまま大学へ進学。コンサートデビューは学部3年の時にメサイアにて。
これまでにオペラでは、「オルフェオとエウリディーチェ」アモーレ、 「ドン・ジョヴァンニ」ドンナ・アンナ、ツェルリーナ、「フィガロの結婚」スザンナ、「コジ・ファン・トゥッテ」 デスピーナ、「魔笛」パミーナ・パパゲーナ、「愛の妙薬」アディーナ、「カルメン」フラスキータ、「ラ・ボエーム」ミミ・ムゼッタ、「椿姫」ヴィオレッタ、「シモン・ボッカネグラ」アメーリア、「カヴァレリアルスティカーナ」ローラ役等を演じる。 また「こうもり」「メリーウィドウ」などのオペレッタにも多数出演している。 そのほか、ヘンデル「メサイア」、ハイドン「天地創造」、フォーレ「レクイエム」、ベートーヴェン「第九」他、ペルゴレージ「スターバトマーテル」、バッハ「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」やカンタータ等の宗教作品でソリストを務め、韓国やスロヴァキア等の海外においても現地のオーケストラと共演している。劇場版名探偵コナン「戦慄の楽譜」では、ソプラノ歌手 秋葉怜子役の歌唱(アメージンググレイス・アヴェマリア)を担当し、クラシックファン以外にも名を知られるようになった。2011年にCD「祈り」をリリース。東京と熊本にてリサイタルを数度開催。岩津整明、故木村宏子、高橋大海、オリヴェラ・ミリヤコヴィチ、釜洞祐子の各氏に声楽を師事。現在、平成音楽大学講師。日本声楽家協会声楽講師。日本声楽アカデミー会員。2019年4月20日熊本県立劇場にてリサイタル予定。

フリーライター兼翻訳家

山縣 みどり(やまがた みどり)

昭和55年度卒業生。大学卒業後、出版社に勤務。退職後はカリフォルニアの大学で映画学を学び、帰国後にフリーライター兼翻訳家としての活動をスタート。「anan」「ELLE」「GQ」「Brutus」「25ans」などでインタビューや映画批評を執筆するほか、記事の翻訳も手がける。著作に「恋と幸せのヒントがたくさんつまった 恋愛STYLEBOOK」(宝島社)など。

山縣まず中学時代のことについて伺います。どんな中学生でしたか? 生徒会の役員として、みんなを引っ張るような女の子でしたか?

赤池私は自分から率先して表に出たいタイプではなくて、二番手三番手ぐらいです(笑)。

中学の修学旅行時。前列中央が赤池さん

山縣弁護士を目指してらしたということは、成績はよかったんでしょう?

赤池悪くはないと思いますけど。

山縣部活はもちろん、コーラス部でしたね。当時は岩津先生?

赤池1年生のときだけ岩津先生でしたが、退任されました。2年生からは、後任の百原先生でした。百原先生の厳しさは、岩津先生のそれとは違う感じで、今考えると、コーラス部を指導する重圧がものすごくあったんじゃないかしら。

山縣岩津先生のレガシーを継がなくては、と(笑)。

赤池だからでしょうか、ピリピリとした緊張感もありました。でも岩津先生に比べると、先生への接し方は明らかに違ってましたね。「ももじぃ、ももじぃ」と呼んでいました。呼び捨てにすることもあったし、私たちの方が先に附中にいたんだぞ、みたいな感覚(笑)。

山縣えぇっ、先生にマウンティングしてたんですね(笑)。

赤池そうなのかも(笑)。「お腹すいた。おにぎり買ってきて、先生」みたいな、そんな感じの親しみやすさがありました。でも指導は厳しかったし、私たちも真面目に練習していました。

山縣赤池さんは部活のときはいつも汗だくで、タオル持って来いって先生に言われたという逸話がありますね。体育会系コーラス部というイメージです。

赤池当時はエアコンがなかったんです。真夏にずっと立ってうたっていると、汗だくですよ。ほかの子は普通のタオルハンカチで大丈夫だけど、私だけもっと大きなバスタオルみたいなの持って来いって言われるぐらいの汗っかきでした(笑)。もう、汗がボトボト。

山縣腕立て伏せとか腹筋とか筋トレでもやっていたのかと思いました。

赤池さん:腹筋っぽいことはやっていましたが、それで汗をかいてたわけじゃないんです。一生懸命にうたって汗だらけになっていました。実は百原先生は声楽を学ばれていたというお話でした。だから声楽の知識が豊かで、肉体のメカニズム的なことなどを教えてくださったんです。だから新鮮でしたね。小学校から続けてきたコーラスの指導とちょっと違う要素が入ってきて、私はそれがすごく楽しかったんです。しかも百原先生に勧められて、独唱の先生のレッスンを受けることになったんです。

山縣じゃぁ百原先生が、赤池さんの人生を変えてくれた先生ですね?

赤池ぐぐっと変えてくれました。でも当時は純粋に「昨日よりも上手になりたい、昨日できなかったことができるようになりたい」ってことしか頭になくって、声楽家になりたいとか、音楽家になりたいなんて一切考えていませんでした。ただただ、向上心だけでした。とはいえ、きちんとレッスンを始めたのは高校に入ってからです。

山縣附中のコーラス部って全国大会の常連でしたが、赤池さんも出場なさったんですよね?

赤池メンバーが多いので全員が出られるわけではないんですが、1年生のときから選ばれていました。1年生と2年生のときには全国大会に出ました。

中学3年生のときのNHK全国音楽コンクール熊本県大会:前列左から2番目が赤池さん

山縣では、中学時代に印象に残っている先生は百原先生? それともほかにいらっしゃる?

赤池やっぱり、一番近いのは百原先生ですよね。東京藝大に合格したときにお電話で報告したら、喜んでくださいました。私自身は実は、受かると思ってなかったんで(笑)。

山縣どうして?

赤池ずっと弁護士になりたかったから、願書を出すギリギリまで迷ったんです。声楽レッスンを受けていた先生から「法学部に進学した後、やっぱり歌をやりたいと思っても、もうブランクあるから無理。でも一旦音大に行ってから法学部っていうのはまだ可能性があるんじゃない」と言われて、「あっ、そうかも」と思ったんです。それで、音大を受けることに決めて受験しました。悩んだ末に「流れに乗ってみよう」と決心したから、落ちたらゆっくり考えようかなみたいな感じだったんですよね。

山縣大学時代は、ライバルというか同じ志を持った人がいっぱいいたと思います。そんななかでやっぱり音楽の世界に進もうと思ったのは、何がきっかけ?

赤池実は、素敵な理由はありません(笑)。いい意味で流されてきたのかもしれません。今までの人生、どうしようかなと迷うと必ずやるべきことが見えるといった感じです。 音楽は厳しい世界ですから。みんなとりあえず大学を出たら留学するんです。海外留学で箔がつくし、学生でいられる時間を延ばしたいという思いもあります。ただ私は当時、体を壊していたので長期の留学を禁止されていました。
だから大学院に行こうと考えていたのですが、大学で付いていた師匠が亡くなられてしまったんです。その師匠というのが、附中出身の木村宏子先生。子どものときに第九の演奏会で木村先生がソリストとしてうたっておられたのを聞いて以来、ずっと憧れていた大先輩です。大学で木村先生に学びたいという思いで高校時代も頑張って、ようやく藝大で先生の門下生になったという経緯があります。亡くなられたので、大学院に行っても木村先生に習えないとなると、途端にやる気を失ってしまったんです。

山縣モチベーションが下がったんですね。

赤池そうです。もう習いたい先生が居ないと思ってしまった。実際は大勢の先生がいらっしゃるわけだから失礼な話なんですけど、当時の私はそう思いこんでしまったんです。結局、大学院進学も断念して、しばらくはプーのままでした(笑)。
あの頃の私は、これからどうしようと悩んでいました。歌は好きだし、まだやり切ったとも感じていなかった。でも付きたい先生はいない、という宙ぶらりん状態です。そんなとき、道でばったり会った高橋大海先生に「君、今もうたってる?」と尋ねられました。藝大時代には一度も指導を受けてなかったのですが、熊日学生音楽コンクールの審査員をなさったときの私の演奏を覚えていらしたんです。木村先生が亡くなられたので歌から遠のいていると正直にお話ししたら、先生が立ち上げた日本声楽家協会に見学に来るようにとおっしゃったんです。直接先生に勧められたのに見学に行かないのって失礼じゃないですか? 後日、協会にうかがったところ、見学するだけのはずが、その場でオーディションになってしまいました(笑)。実はその日、先生がいろいろな審査員の先生方を集めていらしたんです。二か月間、うたっていなかったんですが、「卒業試験でうたった曲だったら覚えているでしょ?」と。確かに覚えてはいたけど、全然うたってなかったから不安なんです。でも「とりあえず、うたいなさい」と言われて演奏したところ、「君はうたうべきだ」と合格してしまった。それで再び声楽の道に戻ったというわけです。

高橋大海先生と

山縣赤池さんに運命を引き寄せるパワーがある感じですね。そこからプロの声楽家になったんですよね?

赤池そうです。不思議ですけど。「あぁ、うたうしかない」と思い直しました。始めたときからずっと研鑽を積む日々だし、終わりがない世界です。できなかったことができるようにもなる一方で、簡単にできていたことができなくもなる。体の状況も変わっていきます。ずーっとレッスンを繰り返す日々です。表現上の慣れや、体や筋肉の使い方といった部分には多分積み重ねで体得したものもありますが、怖がらずに若さにまかせてうたってたようなことが今はできなくなっています。正直な話、日々、自分自身を新鮮に感じています。毎日練習するときに、「今日の私は?」、「今日の歌はどうなんだろう?」という感じです。終わらない世界だし、満足はきっとしないでしょうね。

左:初めてのオペラデビュー 右:初めて欧州でソリストを務めた

右:6月30日の熊本県立劇場での「ラ・ボエーム」公演で、ナビゲーターを務められた俳優の高橋克典さんと。

山縣個人的な質問かもしれませんが、普段はどういう生活ですか? 毎日、レッスン?

赤池声は出します。普通に家事もやりつつ、うたう時間もありという調子です。レッスンのスケジュールは何となくはありますが、がっちりは決めているわけではありません。前日に翌日のスケジュールを確認して、例えば夜にオペラの稽古などが入っている場合はお昼前に一回発声とかしなきゃいけないなとなります。それに教えている生徒さんもいるので、自分のコンサートのためのリハーサルやレッスンの合間に生徒さんのレッスンを入れたり、という感じです。
歌って、歌の練習がもちろんメインなんですけど、実は語学的な勉強もしなくてはならず、ものすごく時間を取られます。オペラを演じるときは、すべての歌詞の意味を調べます。もちろん対訳本も売られていますが、自分が演じる役のことはもちろん、相手役のことも全部わかってないと演技もできませんから。それに時代背景の勉強をするから、世界史的な側面も勉強しなきゃいけない。それをやる時間が結構かかります。自宅では音を出せるのを9時半ぐらいまでと決めていますが、そのあとで家事を済ませてからリサーチに取り掛かって、深夜1時、2時まで勉強してたりします。

8月に熊本で公演されたオペラ「細川ガラシア」にてガラシア役を熱演

山縣受験生みたい(笑)。

赤池自分で抱えているものの量にもよりますが、それは毎日ではありません。もう練習するリズムが身についているんです。3歳でヴァイオリンとピアノを習い始めたから、中・高時代は帰宅後にまずヴァイオリンとピアノそれぞれを1時間以上練習して、夕食を食べて、宿題。勉強の後でまた終わってない練習を続けるといった生活でしたから。

山縣演目毎に勉強と研究をなさっているのは本当に立派だと思います。

赤池それが仕事ですから。それにしっかりと勉強していないと、それが演奏に出てしまいます。オペラをご存知ない方にはわからないかもしれませんが、演奏会に行くと「あ、この人はあまり勉強してないな」とすぐにわかります。「声はいいけど、それだけね」と思うときもあるし、だからこそ「怖っ」となりますね。舞台上で裸にされるようなものだし、「よく平気でうたっているな」と思っちゃうくらい(笑)。オペラを見ている回数が私より多いという素人の方もたくさんいらっしゃるし、そういう通の方はわかるはずです。

山縣怖くて、厳しい世界ですね。

赤池怖いです。本当に怖い。

山縣ところで、附中で学んだことで今の赤池さんのお役に立っていることはありますか?

赤池ありますっ! 自主性です。コーラス部もそうでしたが、どの生徒もやりたくて、入部します。だからどの子も自ら進んで練習していました。岩津先生にしろ、百原先生にしろ、部活の目標としてコンクールの突破や全国大会出場と掲げてはくださるけれど、そんなに細かく「ああしろ、こうしろ」とはおっしゃらなかった。パートごとにパートリーダーが指導するし、互いに聞き合って「ここ少し、音程が外れている」と注意し合うんです。そこで自主性が培われたと思います。それに勉強もしなくてはならないし、時間の上手な使い方も附中で学んだことのひとつです。セルフ・マネジメントというか。

山縣附中時代の楽しい思い出について教えてください。

赤池楽しい思い出はいっぱい。いっつもケラケラ笑っていた記憶があります。そういえば、担任の先生がユニークな方で、強烈に印象に残っています。数学の先生で、「数学は宇宙だ」と宣言して宇宙のいろいろな話になったり、東大の入試問題を解かせたり。ある日「数学は音楽だ」とおっしゃいました。確かにその理論はあるし、実際に音楽をやっている今では音楽が数学と関係しているとわかりますが、当時は「何の話?」と思っていました(笑)。先生は今でも、熊本でのコンサートに足を運んでくださいます。

山縣運動会のときは応援団でもあったそうですね。

赤池白いテニススコート姿で応援していました。応援団って、一人ずつ前に出て何かを宣言することになっていますよね。そのときに、大声が出せなかったという思い出があります。普段、話している調子で大声を出すと、「ちびまる子ちゃん」の歌みたいになっちゃうんです。「あ“〜」みたいな感じ(笑)。とにかく変な声になるから、裏声でしか大声が出せないんですよ。だから応援団のときもすごく変になっちゃった。それが嫌な思い出かな。 

山縣運動会にはみんな、いろいろな思い出がありますね。走るのは早かったのですか?

赤池球技は全くダメでしたが、足は早かったんです。スウェーデンリレーに出ました。走者ごとに走る距離が伸びる競技で、最終ランナーはグラウンド1周を走ります。私はその最終ランナーでした。ただ長距離なのに、最初から全力で走ったから、途中で疲れてしまった。無計画なんです。今でもよく覚えていますが、ゴールした後に立てなくなりました。生まれたての子鹿みたいな状態でした。立ち上がろうとしてはガクッと膝から崩れ落ちるような(笑)。走った後は順番ごとに、1等の旗とか2等の旗の前に並んで座るじゃないですか。そのまま立てなくなって、しばらくは運動場の真ん中でじっとしている姿が映像で残っています(笑)。

山縣話はまったく変わりますが、お仕事での目標はありますか?

赤池この1本は絶対的にやりたい、というオペラがあります。ある女性の人生を描いた作品です。ひとりの若い女性がいろいろな人生経験をし、最後には病に倒れて死んでしまうという展開です。実は1幕目はやったことがあります。ヒロイン自身が若いから、若くて声が軽めでも大丈夫でした。でも後半になるとやはり、若い声ではうたえないんです。だから今までは「年齢的にまだ早い」とか、「今やると喉を壊す」といった状況でした。でも、だんだん体も成熟し、これまでの研鑽でできることも増え、声も豊かになってきた今、「そろそろいいかな」と思い始めています。

山縣オペラにはたくさんの演目があるし、一生チャレンジが続きそうですね。

赤池そうですね。実際、私の声がどうなるかもわかりませんし。音域も変わりますから。歳をとると音域が狭くなるといいますが、私はまだ伸びています。もうちょっといけるかなという状態です。声質的には高音がどんどん出る声です。研究を重ねて、半音ずつ伸ばしてきて、今高音がすごく得意なのはそういった下積みがあるから。それと同時に、ピークがどこなのかと思いながら自分を研究しています。

山縣まだ声が伸びるということは、ピークに達してないということですね。

赤池何をもってピークかという話でもあります。まだ、もうちょっといけるかなという気はしています、技術的にも。これは専門的な話になるのですが、実は音は出ているけど、まだ100%じゃないみたいなところがあります。フィギュアスケートと似てると思うんですが、飛べてるけど加点されない場合があるじゃないですか? 回転が足りないとか、美しくないとか。歌も同じで、声は出てるけど、なんだか違うという場合があります。いい音を出すためには、気になる点を頑張ってクリアしていかなければならない。練習と努力が物を言う世界です。それに、例えばトータル2時間あるオペラの、最後のシーンでベストの声を出したい場合は1幕目からその地点に向けての体の使い方をしていないと声が出ません。自分の体をいかにベストに持っていくかが重要です。ある種、アスリートみたいですよ。まずは体をきちんとコントロールできることが大切だし、例えば途中で失敗して調子が狂った場合にそれをちゃんと修正できる能力を養うことなど共通点は多いと思います。

山縣最後になりますが、附中のOB・OG、もしくは現役生へのメッセージをお願いします。

赤池現役生というと中学生ですね。みんなきっと、「将来、●●●●になりたい」という夢があると思います。でも中学生は可能性の宝庫だから、ひとつのことにこだわらずにいろいろなことを体験してほしいと思っています。興味がなくても歌もうたってみてほしいし、今話題のテニス観戦でもいいと思います。興味ないなんて言わずに、チャンスがあるものにはどんどん自分の身を置いてほしい。最近の若者って情報量が多いだけに、何事においても「こうあるべき」と決めつけている気がします。中学生だけじゃありません。音大の講師もやっているんですけど、大学生とおしゃべりすると、感情があるのにみんな隠していて、人の目を気にしているのを感じます。「いいね、いいね」と肯定しかしないのは怖いですね。そんなに自分を圧し殺さないでもいいんじゃないかと思うんです。中学生の頃って本当はもっともっと多感な時期なんだから、失敗してもいいし、ケンカしてもいい。とにかく、今しかできないことをいっぱいしてほしい。そうじゃなきゃ、ちょっと心配(笑)。

赤池優さんと山縣みどりさん

公開日:2018.10.24

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